やっとやっていたことに目途がついた。まだ続くけど精神的にはかなりラクになった。
新聞の一面に高史明さんが載っていた。最近載っているいじめへの提言だ。
この方の息子さんの「ぼくは12歳」、読んだ。なつかしい。私の思春期は人生とは何か?というのを考える糸口が「死ぬってどういうこと?」だったので、当時流行っていた若い人の闘病記とか自殺した若者の日記とか読み倒していた。
いじめにあっていたわけではなかったが(女同士の嫌がらせ程度なら日常茶飯事だったけど)10代の時点でこんなに生きづらい世の中ならばこの先も生きづらいだろうな、逃げる方法ってないのかな?みたいな感じだったんだろうと思う。
私の場合、そのつらさの大半は親から与えられたものだったので、自立を確立させるにつれあの生きづらさは驚異的に解消された。はからずも親に感謝、というところが悲しいやら嬉しいやらである。
大人にならないで死んだらもったいない。ホント、死以外ならどこへでも逃げたらいい。
でも、自分の親は逃げるなんて絶対許さないタイプだったからなあ。
だから私は一緒に逃げてあげると子どもに言える親になりたい。父親(オット)が仕事や家はどうすんだと言っても私は子どもを連れて逃げるよ。
新聞の一面に高史明さんが載っていた。最近載っているいじめへの提言だ。
この方の息子さんの「ぼくは12歳」、読んだ。なつかしい。私の思春期は人生とは何か?というのを考える糸口が「死ぬってどういうこと?」だったので、当時流行っていた若い人の闘病記とか自殺した若者の日記とか読み倒していた。
いじめにあっていたわけではなかったが(女同士の嫌がらせ程度なら日常茶飯事だったけど)10代の時点でこんなに生きづらい世の中ならばこの先も生きづらいだろうな、逃げる方法ってないのかな?みたいな感じだったんだろうと思う。
私の場合、そのつらさの大半は親から与えられたものだったので、自立を確立させるにつれあの生きづらさは驚異的に解消された。はからずも親に感謝、というところが悲しいやら嬉しいやらである。
大人にならないで死んだらもったいない。ホント、死以外ならどこへでも逃げたらいい。
でも、自分の親は逃げるなんて絶対許さないタイプだったからなあ。
だから私は一緒に逃げてあげると子どもに言える親になりたい。父親(オット)が仕事や家はどうすんだと言っても私は子どもを連れて逃げるよ。
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